内田真礼、水素水にハマる
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上坂、イベントで水素水にハマった内田をとことんバカにする
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内田真礼、わりかしマジでキレる
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本日のイベントにて
上坂「昨日、真礼さんの家にお詫びしに行ってきました」
上坂「2人でしゃぶしゃぶサラダ作ったり飲んだり」
上坂「水素水の件を謝った」
上坂「ほんといい加減にして!と怒られました」
上坂「今後、水素水と真礼さんは科学的に一切関係ありません。もう言いません」
http://natalie.mu/music/news/198098
世界の注目を集めているポーランド選手は、13日の大会で表彰台に立ったピオートル・マラチョウスキ。
自身のフェイスブックで19日、次のように呼び掛けた。
「きょう、私はみなさんにお願いする。(銀メダル)より価値あるもののために、一緒に闘おうということだ。それは、一人の少年の健康である」
少年は、ポーランド人のオレク・シマンスキちゃん。眼球のがんに冒され、2年間も苦しみ続けてきた。
マラチョウスキはなおも続ける。「ポーランドで、オレクの目を治すチャンスは“ゼロ”だ。残る道は、ニューヨークしかない」
オレクちゃんを救う治療費は、48万ズロチ(約1260万円)にも上る。ポーランド国内の財団「シエポマガ」が治療費を賄うため立ち上がったが、これまでに集めた額は3分の1にとどまる。
マラチョウスキは言う。「すべての人に、入札に参加してほしい。
もし私を助けてくれるのなら、オレクにとって、私のメダルは『金メダル』以上の価値を持つ」
ロイター通信によると、マラチョウスキの自己犠牲の精神に感銘した人々が次々と入札。
19日時点で、メダルの価値は6千ドル(約60万円)にまで高騰している。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/sports/sankei-rio1608200080.html
藤島じゅん?@huji_jun
【謝罪】私の思慮に欠けた表現で多くの方々に不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げます。件のツイートは削除いたしました。お騒がせしてしまい大変申し訳ありません。以降、重々気をつけます。
http://www.yahoo.co.jp/
九州某県で働いてた時に最終学歴を聞かれ、素直に答えると「え?なんで大学まで行ったと?」「女の子なのに大学まで行ったとね?」「無駄たい。親御さん大変だったやろ。」って言う人が一定数いてびっくりした。 #九州で女性として生きること
ドイツのデメジエール内務相は19日会見し、イスラム教徒の女性が全身を覆い隠す「ブルカ」や、目だけを出して顔を覆う「ニカブ」の公共の場での着用を禁止する方針を明らかにした。
今後、連立与党内で調整のうえ、法制化をはかる。
7月に相次いだイスラム教徒の難民らによる襲撃事件を受けて、警戒感が強まっていた。
デメジエール氏が、与党キリスト教民主・社会同盟に所属する8州の内務大臣との会合後に明らかにした。
禁止するのは、公務や学校、幼稚園、デモなどの場。
本人確認が求められるすべての場所が対象になる。
デメジエール氏は「顔を見せることは、社会で共同生活を送るうえにおいて根本的なことだ」と語った。
メルケル首相は前日、ブルカ着用の女性について「社会に自らを統合する機会を失ってしまう」などとメディアに語っていた。
ブルカの公共の場での着用は、数年前からフランスやベルギー、イタリアなどで禁止する動きが相次いでいるが、ドイツはこれまで異文化に対して寛容な政策をとってきた。
過去に一部の州でイスラム教徒の教員がスカーフを身につけることを禁じた経緯があるが、憲法裁判所が2015年に「法の下の平等に反する」などとして無効を命じた。(
http://www.asahi.com/articles/ASJ8M61MTJ8MUHBI022.html
部長&俺、ポカーン
新入社員「…え?あっ!」
部長「いや、大丈夫大丈夫。みんな最初はそんなもんだよ」
俺「すみません教育不足で…」
部長「なに、社会人として大切なことにいま気が付けたのだからいいじゃな いか」
新入社員「本当にすみません…」
俺「お前も部下が出来たら部長みたいに優しくなれよ」
新入社員「はいっ!」
一瞬ヒヤッとしたが何とか事なきを得た
もちろん仕事終わってから喉が枯れるぐらい説教はした おかげで折角の休日なのに声がかすれてるわ
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160820-00000083-nksports-spo
暑い日が続く中、清涼感を求めて食べる人が多いそうめん。ゆでなくても水でほぐすだけで食べられる商品や、電子レンジで調理できる商品が手軽につくれると好評だ。バーベキュー場では、流しそうめん用器具のレンタルサービスも登場した。ただ、そうめんばかり食べて栄養バランスが偏ると夏バテになりやすいとして、専門家は豚肉などと一緒に食べることを勧めている。
バーベキュー場で
「流れてくるのをよく見て」。7月下旬、東京都あきる野市のバーベキュー場。同市の小学1年の男児と幼稚園に通う女児のきょうだいは、両親にそうめんのつかみ方を教えてもらいながら、流しそうめんを初体験。男児は1人前以上を平らげたが「もう一回やりたい」とねだっていた。
東京都、埼玉、神奈川両県の計約80カ所のバーベキュー場で器材をレンタルする渓谷BBQは、7月から流しそうめん用の器具の貸し出しを始めた。竹筒の長さは約5メートルで、設置もしてくれる。
5人分のそうめんが付いて料金は1万6200円。多い日で3セットの予約が入り、好調という。
http://www.sankei.com/life/news/160815/lif1608150006-n1.html
RADWIMPS、映画『君の名は。』新海誠監督と対談
「君の名は。」予告
もう35年前になるんだなあ。甲子園のマウンドで「みちのくひとり旅」を歌った。
テレビの仕事だったけど、聖地だけに気が引けた。そのとき以来の甲子園だな。
http://www.asahi.com/articles/ASJ8L2CTBJ8LPTQP00W.html
ボルト「やっぱりこの五輪が最後だ」
ジャマイカのウサイン・ボルト選手は「みんなには申し訳ないが、やっぱりオリンピックはこれが最後だ」と話し、改めて今大会を最後にオリンピックから去ることを明言しました。
ボルト選手は、今大会最後のレースとなった400メートルリレーで金メダルを獲得したあと、「プレッシャーがすごくあったのでほっとしている。ここまで汗と涙を何度も流して練習してきたし、トップに居続けることができた自分を誇りに思う」と話し、みずからの偉業をしみじみと喜びました。
ボルト選手は大会前から今回が最後のオリンピックになるという意向を示していましたが、レース後にも「みんなには申し訳ないが、やっぱりオリンピックはこれが最後だ」と話し、改めてこの大会を最後にオリンピックから去ることを明言しました。
日本が銀メダルを獲得したことについては「彼らのよさはチームワークだ。
3月からバトンパスの練習をしていたらしいし、2、3回しか練習していない僕らとは比較にならない。選手どうしが信じ合っていたからこそ銀メダルが取れたと思う。
このまま練習を続けていけばより世界レベルになれると思う」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160820/k10010643861000.html
芸能人やアニメキャラ:ミーハー
ラーメンや車などの趣味:何も考えてないバカ
ネットのネタ画像:面白い人と思ってほしいつまらん人
かわいいマスコット:ぶりっこ
ペットの画像:万人受けを考えてるビビリ
「悪意の心理学 悪口、嘘、ヘイト・スピーチ」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/187735
薬局、レストラン、焼きそばの屋台まで!なんでもそろっているファベーラ でも「やっぱり出たい」理由とは…
ブラジルを語る上でファベーラ(スラム街)は外せない。五輪が行われているリオデジャネイロにも数多くのファベーラがある。今回、7年前にファベーラから出て、ほかの地区に移住するという夢を叶えた女性とともにかつて住んでいたファベーラ「モーホ・ド・マカーコ(サルの丘)」を訪れた。
そこには以前はなかった薬局やレストランがあり、夜は広場に子供はもちろん多くの人々が集まって一緒に飲み物を飲んだり、軽食を食べながら話したりするなど、ファベーラのイメージからは程遠い穏やかな時間が流れていた。
ベッチさんがモーホ・ド・マカーコに住んでいたのは7年前。夫と3人の娘とともに暮らしていた。ファベーラの暮らしは丘の上へ上がっていくほど貧しくなる。下の方は清掃もされ通りもきれいだが、上に行くほど道にごみが散乱し異臭もする。ベッチさんはちょうど中央地点に住んでいた。
当時はファベーラ内に平和維持警察部隊(UPP)の駐留もなく、銃撃戦も1週間に1度あるかないかぐらいの高頻度だったといい、「銃撃戦が始まると家からは出られない。家にいるときに銃撃戦が起こればまだいいほう。
外に出ているときに銃撃戦があったら、警察官が道路を封鎖して自分の家に帰れないこともある。
1度、私が外出していて、娘たちだけが家に居たときに銃撃戦があって、家には戻れないし心配で仕方がなかった。それまでも何度もファベーラを出ようと思っていたけど、そのときにファベーラから絶対出ようと決心したの」と語る。
2014年のサッカーワールドカップ(W杯)やリオ五輪へ向け治安維持取り組みの一つとして、ファベーラにUPPが駐留し銃撃戦は減ったという。しかし、訪れた前日に銃撃戦があったといい、まだまだ安住の地とは程遠いようだ。ただ、久々にゆっくり歩いて「すごく新鮮で楽しかった」とベッチさんが“いい変化”について教えてくれた。
まずはいろいろなお店ができていたことだ。当時は薬局などもなかったというが、今は薬局以外にも、ネイルサロンやヘナで眉毛を染色する美容系のお店もできていた。パン屋もあり、パン5個で2レアル(約80円)と格安だ。小さいレストランもあって、ベッチさんも興味津々でメニューをチェックしていた。そして夜になると焼きそばの屋台も登場。
夕方から子供たちが広場に集まり一緒に遊ぶと、大人たちも集って飲み物を片手に談笑する。以前はこんな風景はなかったとベッチさんも驚きとともに、自らもその輪に加わった。
ファベーラでは住民みんなが知り合いで、歩けばお互いにあいさつする。このモーホ・ド・マカーコに生まれたときから住み、現在は妻と4人の子供とともに生活するためにこの地に新たに家を建てた男性は「見ざる、聞かざる、言わざる。しゃべりすぎは駄目。ファベーラはこれができればどこでも生きていける」と快適に過ごす秘訣を明かす。
住民と一緒にいれば安全だが、1人で歩くのはやはり危険な場所だ。広場で楽しそうに話し、道を歩けば多くの人と言葉を交わして幸せに暮らしている彼だが、回数が減ったとはいえいつ起きるかわからない銃撃戦に対し「子供もいるし、やっぱりファベーラから出たい」と本音を漏らした。
http://www.sankei.com/rio2016/news/160820/rio1608200065-n1.html