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【吉田調書】菅「撤退などありえない」吉田「逃げろなんて言ってないし。何だあのオッサン」

【退避問題】
(中略)

―菅首相は何をしに。
「知りませんけれども、咤しった激励に来られたのか何か知りませんが、社長、会長以下、取締役が全員うちそろっているところが映っていましたね。おもむろにそこに、5時すぎか、忘れましたけど、来られて、えらい怒ってらしたということです。
要するに、おまえらは何をしているんだということ、ほとんど何をしゃべったか分からないですけれども、気分悪かったことだけ覚えていますから、そういうモードでしゃべっていらしたんでしょう。そのうちに、こんな大人数で話をするために来たんじゃないとかいうことで、場所変えろとか何かわめいていらっしゃるうちに、この事象になってしまったものですから」―「撤退はない」とか「命を懸けてください」とか。
「それは言っていました」

―全面撤退問題は報道でもごちゃごちゃ言われている。
「退避騒ぎに対して言うと、何をばかなことを騒いでいるんだと。逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。
本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけれども、現場は逃げたのか。逃げていないだろう。これははっきり言いたいんです」
「撤退みたいな言葉は菅(氏)が言ったのか、誰が言ったか知りませんけれども、そんな言葉、使うわけがないですよ。
テレビで撤退だとか言って、ばか、誰が撤退なんていう話をしているんだと、逆にこちらが言いたいです」―政治家の間ではそういう話になっている。
「知りません。アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」―ある時期、菅さんは、自分が東電の全面撤退を止めたと。
「辞めた途端に。あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。
そんなおっさんが、辞めて、自分だけの考えをテレビで言うというのはアンフェアも限りないんで、あれは事故調の委員会としてクレームをつけないといけないんではないかと私などは思っているんです」

(以下ソース)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=82849


【吉田調書】読売社説「撤退も命令違反もなかった。朝日の報道は解せない。」…朝日、チェックアウトか

福島・吉田調書 「撤退」も命令違反もなかった
2014年08月31日 01時17分

東京電力福島第一原子力発電所事故を巡る「吉田調書」の全容が明らかになった。

政府の事故調査・検証委員会が、吉田昌郎元所長から生前に聴取した証言の記録である。

事実関係のほとんどは、政府事故調の報告書に反映されている。とはいえ、事故対応に当たった作業員の苦労や、吉田氏の心情を生々しく伝える貴重な資料だ。

吉田調書を入手したとする朝日新聞は、5月20日付朝刊で、作業員が吉田所長の命令に反し、第二原発に撤退したと報じている。

だが、調書を読む限り、吉田氏は、部下が指示に違反したとは認識していない。

吉田氏は、「2F(第二原発)に行けとは言っていない」が、指示が伝わる過程で解釈が変わったと説明している。

その上で、作業に必要な要員以外は「2Fに行った方がはるかに正しい」と、退避を選択した部下の判断を評価した。現場は、放射線量が高く危険な状況だった。

退避の経緯は、政府事故調の報告書にも詳述されている。朝日新聞の報道内容は解せない。

吉田氏は「文脈等をふまえなくては誤解を生む」と、調書の非公開を求めていた。しかし、朝日新聞の報道などを受け、証言は独り歩きを始めている。政府は「かえって本人の遺志に反する」として、近く公開する方針だ。

作業員の奮闘は海外でも称賛されてきた。だが、朝日新聞の「撤退」報道に基づき、米紙が「作業員が命令に反して逃げた」と報じるなど誤解が広がっている。

吉田氏は、危険を顧みぬ作業員の事故対応に、「本当に感動した」と語っている。彼らの名誉のためにも公開は妥当な措置である。

2014年08月31日 01時17分 Copyright c The Yomiuri Shimbun
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140830-OYT1T50146.html


【吉田調書】吉田「いやー冷却装置とまってたわ、すまんすまん」「ベントの必要性もわからんかったわ」

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、吉田昌郎元所長が政府の
事故調査・検証委員会に対し、非常用の冷却装置が止まっていたことなど
重要な情報を把握できていなかったことを「猛烈に反省している」と述べるとともに、吉田元所長に判断が集中した事故対応の在り方について課題を指摘していたことが分かりました。
専門家は「新しい知見を生み出しながら、事故の教訓を別の視点から伝え、解釈していくことが重要だ」と、吉田元所長の証言を公表することの意義を指摘しています。

非常用冷却装置
事故当日、最も早くメルトダウンした福島第一原発1号機では、すべての電源が失われた3月11日の午後3時半ごろから、非常用の冷却装置がほとんど動いていませんでした。
政府の事故調査・検証委員会の調べによりますと、現場の運転員も、当初は1号機の非常用の冷却装置が止まっていたことを明確には疑っていませんでしたが、夕方になって深刻な状況に気付きます。
ところが、この情報は吉田元所長には伝わらず、冷却装置は動いていると信じていて、ようやく事態を把握したのは、格納容器の圧力が異常に上がっていると報告を受けた午後11時50分ごろでした。
こうした重要な情報を把握できていなかったことが、原子炉への注水や格納容器の圧力を下げる「ベント」と呼ばれる作業の大幅な遅れにつながったと指摘されています。
これについて、吉田元所長は政府の事故調査・検証委員会に、「猛烈に反省しているんですけれども、少なくとも現場側からのSOS発信がこちらに届いていなかった」と述べ、非常用の冷却装置が止まっていることを疑っていた現場の情報を把握できなかったことを悔やんでいます。
そして、「IC(非常用冷却装置)は大丈夫なのかということを何回も私が確認すべきだったと、逆に言いますとね、今の時点に立って言うとそこは思い込みがあって、水位がある程度確保されているから大丈夫かなと思っていた部分があります」と話し、現場の責任者として判断を誤ったことを率直に認めています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140824/k10014044831000.html