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【袴田事件】唯一無罪を主張した裁判官、罪の意識から裁判官を辞め酒に溺れる生活 ホームレスと化す

【袴田事件】一審死刑判決、今も悔やむ「謝りたい」と元裁判官
http://www.47news.jp/smp/47topics/e/251834.php
1960年-司法試験最終合格。合格者334人中1位で、戦後の九州大学では初のトップ合格者として新聞社の取材を受けた。
後に先輩判事から「君はじっと余計なことをしないで淡々と仕事をしていたら最高裁判事になれる」と言われた。

もともと逮捕状や勾留請求の却下が多い人権派の裁判官として知られ、1968年の袴田事件1審でも1人だけ無罪を主張したが裁判官3人の多数決で覆され、被告人は死刑判決を受ける。
この判決を悔やんで半年後に弁護士へ転身し、東京の法律事務所のパートナーとなったが、酒の上でのトラブルが絶えず、「俺は無実の人を殺した。逮捕しろ」と夜中に警察署で暴れたこともあった。

大酒が原因で体を壊して離婚し、1991年に九州へ移住。肝硬変で入院したが、病室でも酒を飲んでいる有様だった。
1996年に弁護士登録を抹消。このころの生活については、自ら「弁護士らの知人から借金して食いつないでいた。ホームレスのようなもの」と語っている。

2008年には前立腺癌と診断され、2010年には福岡市で生活保護を受けながら細々と暮らしていることが報じられた。

【袴田事件】唯一無罪を主張した裁判官、罪の意識から裁判官を辞め酒に溺れる生活 ホームレスと化す

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【袴田事件】1審死刑の裁判官、判決に悔い。「思い出すと涙」「先輩判事に押し切られた」

静岡市(旧静岡県清水市)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌死刑囚(78)側の第2次再審請求。静岡地裁(村山浩昭裁判長)は27日、再審を開始し、死刑執行を停止する決定を出した。

1審・静岡地裁で死刑の判決文を書いた元裁判官、熊本典道(のりみち)さん(76)は「公判で袴田さんが『やっていません』と言った姿が忘れられない。
思い出すと涙が出る」と、今でも悔やみ続けている。

真っすぐに裁判長を見据えて受け答えする袴田死刑囚の様子や、任意性に乏しい供述調書などを通じ、「有罪認定は難しい」と思っていた。
だが、結審後に判決文を検討する中で、結果的に先輩判事に押し切られた、と振り返る。

半年後、耐えられず退官し、弁護士に転じた。合議の秘密を破り、第1次再審請求中の2007年、「無罪の心証があった」と告白したが、請求棄却が確定した。先月末には古巣の静岡地裁を訪ね、再審開始を求める上申書を提出。「自分は他の裁判官を説得できなかった。
償いをしたい」と訴えた。【荒木涼子】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140327-00000015-mai-soci