SMAP解散! 飯島vsジュリー派閥争いでキムタク以外独立、なぜキムタクだけジャニーズ残留? 20年前の裏取引
http://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0113/ltr_160113_0834007915.html
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しかし、それにしても疑問なのは、なぜキムタクだけが残留なのか?ということだろう。キムタクは「事務所側と明確な軋轢がないのに退社することはできない」と主張しているとスポニチは報じているが、これはどういうことなのか。
実は、これまでもSMAP解散危機が何度か報じられたことはあったが、それは逆にキムタクが独立するという話だった。軋轢がないどろか、キムタクは20年以上前から再三にわたってジャニーズ事務所ともめてきた。
トラブルの原因は、主にギャラと恋愛問題をめぐってだった。90年代キムタクは"カオリン"と呼ばれる一般女性と長く交際していたが、その交際はファンからも本命の恋人と公認されるほどで、ジャニーズタレントとは思えないおおっぴらなものだった。
恋愛が御法度のジャニーズ事務所がそれを許すはずもなく、この交際をめぐり何度も事務所と対立。とくに事務所の実務を担当するメリー喜多川氏は報道が出るたびに激怒し、それにキムタクも反発するなど、かなり激しく対立し、両者の不信感は相当なものだったといわれる。
さらに、キムタクが不満を感じていたのが、ギャラだ。光GENJI人気絶頂時の諸星和巳の月収が25万円だったなど、ジャニーズ事務所はギャラが低いことで有名だったが、それはSMAPも例外ではなかった。
1996年にはグループの旗艦番組『SMAP×SMAP』がスタート、キムタク主演のドラマ『ロングバケーション』も社会現象になるほど大ヒット、とグループとしてもキムタク個人としても絶大な人気を確立しており、キムタクは当時年収1億でもおかしくないと思われていたが、実際には1000万円にも届いていなかったといわれる。
これでは、キムタクの不満がくすぶるのも当然だろう。噂レベルでなく、具体的に独立一歩手前までいったことがある。
1997年のこと。実はこのとき、父親名義の会社から写真集を出そうとするのだが、事務所の反対に遭う。それをきっかけに、くすぶっていた不満が爆発し、一気に独立に向けて動く。
「一部の週刊誌に報道されましたが、芸能界の実力者にも根回しし、父親名義で事務所を立ち上げ、イザワオフィスとバーニングが共同出資して後ろ盾になるという話まで決まっていたんです」(週刊誌記者)しかし、この独立話は直前のところで回避された。ぎりぎりのところで、ジャニーズ側が大幅譲歩して、写真集も父親の会社から出ることになった。
このころのジャニーズは、まだ嵐もデビューしておらず、TOKIOもたいしたヒット曲もなければ現在のようなバラエティ展開もしていなかった。KinKi KidsやV6は人気があったとはいえ、SMAPの人気には遠く及ばない。
なかでも、キムタクの人気は突出していた。やはりSMAP、キムタク抜きではバーターで新人を売っていくこともままならない。ジャニーズとしても、妥協せざるをえなかったのだろう。
実は今回、キムタクが「軋轢がない」と言っているのは、このときの経緯が関係している。ジャニーズ事務所の元関係者がこう解説する。
「このとき、ジャニーズは写真集を許可するだけでなく、破格の待遇を裏取引で約束したんです。以降、SMAPのなかでもキムタクだけがギャラの条件がまったくちがう特別扱い。恋愛や結婚に関してもキムタクの意志を尊重するという約束が取り交わされたようです」実際、これ以降、キムタクが独立を口にすることは一切なくなる。金銭的待遇もよく、結婚も思う通りにし、ジャニーズの力でマスコミからも守ってもらえるとなれば、もう辞める理由はない。
つまり、キムタクはこの時点で、SMAPのほかのメンバーを裏切っていたということだ。
その後、前述のとおり飯島派とジュリー派の対立が激化。中居くんたち4人はジャニーズ本体との直接のパイプがなくなっていくのだが、キムタクだけは裏でメリー氏をはじめジャニーズ本体とずっとつながっていたらしい。
「ただし、キムタクはそのことを飯島氏にも他のメンバーにも一切言わなかったようです。今回の独立を計画している際も、ぎりぎりまで態度を表明しなかった。まさか飯島もキムタクに裏切られると思っておらず、土壇場でキムタクが残留すると主張し仰天したといわれる」(前出・週刊誌記者)日刊スポーツもスポニチも「飯島にも恩義を感じているものの、ジャニーズ事務所に育てられた意識は強く、残留するのが筋と判断」とまるでキムタクが義理堅いかのように報じているが、飯島やほかの4人にしてみればキムタクのほうこそ裏切り者だったわけだ。
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