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【大人のひきこもり】彼らの多くはコンビニや図書館にも行ける。だが浮かび上がる共通項、気遣いし過ぎて疲れてしまう心優しき人たち

可視化されない「大人のひきこもり」~若者だけの問題で済まされない現実に迫る~ひきこもりが長期化・高年齢化 「大人のひきこもり」とは、いったい何なのか。
これまで「ひきこもり」というと、不登校の延長にある学校卒業後の「若者の問題」として語られることが多かった。

しかし、ひきこもり中核層は確実に、その存在が見えにくいまま、長期化・高年齢化してきている。

もはや、こうした状態にある本人たちのことを「若者」だけで語れないし、選別が行われてきたことによって、深刻な当事者ほど、ますます水面下に追いやられる弊害をうみだしている。

「ひきこもり」というと、よくドラマや映画などでは、カーテンを閉め切ってジメッとした部屋にこもるイメージで描かれる。

しかし、現実には、部屋や家から外出できるかどうかで線引きすると、本質を見誤る。
なぜなら、本人たちの多くは、コンビニや図書館などへは外出しているからだ。

河川敷をよく散策している人も意外と多い。

生きるために、仕方なく外に出ている人もいる。それは、本人たちの声を聞けば、よくわかる。

「ひきこもり」とは、家族以外との関わりがまったく途絶えてしまった、あるいは家族とさえもコミュニケーションが取れなくなってしまったなど、本人が社会から孤立した状態にあるかどうかで見なければいけない。

学校や社会などでさんざん傷つけられてきた当事者たちは、「もうこれ以上傷つけられたくない」し、自分も「他人を傷つけたくない」などと、自分の生命や尊厳を防御するために、場面回避を繰り返して撤退していく。

やがて、生きる意欲や意義さえも失い、あきらめの境地に至ってしまった人たちだ。

浮かび上がった共通項、気遣いし過ぎて疲れてしまう心優しき人たち

多くの当事者たちが求めているのは、社会にいる人たちとのフラットなつながりであり、そうした多様な人たちとつなげてくれる触媒的な人たちの存在だ。

本当は再び、つながりたいと願っている人たちのためにも、「ひきこもり」に対する偏見の水位を少しでも下げられるよう、社会の側から近づいて、みんなで一緒に考えていくことが、これからますます大切になってきている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/masakiikegami/20151227-00052595/